exhibition
「静かな信号」 / 2023

「森では樹木達がいろんな形でコミュニケーションをとっているようだ。
木の根は土中に広がり菌糸なども介して栄養や情報を伝達していると考えられている。
そこには脳に似た電気信号も見られるという。
では、それは一つの大きな意識のようだとは思えないだろうか。
はるか昔から地中ではどんなやり取りが飛び交っているのだろう。」
Photo by Ryo Araki
「不可分」 / 2022
「ファーブルの植物記はヒドラの話で始まる。ヒドラは原始的でとても小さな動物だ。
動物をよく調べることで植物を、植物をよく見ることで動物を知ることがあると書かれている。
よく知りたいと思うと視界は微細に向かい境界に近くなる。
そして、境である生物の分類を調べてみると時代によって揺れていることを知る。
いつの間にか絵の中でも、対象だった物事は微細に分解され、揺れながらも静かにうごめいている。」
「灰青色な単位」 / 2022
「スケッチに木の一部を描いていた。木はケヤキで、その後も同じシリーズで何枚か描いた。
いつもと違う感じなのでなぜそれを描いたのか思いをめぐらせた。
私の実家の前には大きなケヤキの木があった。実家にいた頃は毎日目に入る物の一つで当然そこにあるものだったけど、数年前に切られてしまった。
ケヤキと私の日々には密接な関係があって、
ケヤキの中に自分を抽象化していたのかもしれない。
岡潔の本によると、仏教の考え方では 自然の中に私が生きている、というよりは
まず心があって、その中に自然があるという。
自然の一部を見ることは、心の一要素を見ているということだろうか。」
「Sampling of Memories」 / 2022

「これまで線や面の重なりから意図しない具象的な形が出てくることを避けていたところがある。
近頃それに窮屈さを感じて、少し緩めて受け入れてみることにした。
何かに見えるような線を感じたらそこについて行くことにした。」
「植物コロニー体系から導く境界の諸原理」 / 2021
私から見ると木は止まっているように見える
木は私より長い間生きているので時間軸では木の方が広範囲に移動しているといえよう
となると、あちらからすると私は止まっているようではないだろうか
それはどちらが止まっている、ということではなく
A(こちらの流れ)とB(あちらの流れ)では存在の捉え方が違うかもしれないということである
そうだと仮定し、Bの体系を紐解きその内側からAを考えることによって
境を表象する実験をしてみる
「moment room」 / 2020
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nidi galleryでは、約2年ぶり4度目となる画家・狩野岳朗の個展を開催いたします。 狩野岳朗の抽象画は、木を観察し、枝葉を描くことから始まりました。ライフワークとなっている野外での木々のスケッチで、心象を蓄え思考を巡らせています。これまで狩野は、その心の内側に蓄えた心象を取り出し、それが消えないうちに描き上げ、瞬間を形にしてきたと語ります。今回の作品群では、その閃いた瞬間に得たものを、より淡々と出し続ける「持続した意志」とも捉えられる取り組みによって描かれ、繊細ながらも揺るぎない世界が表現されています。 白、グレー、薄いブルーなどの淡く控えめな色彩の機微、絵具の質感やボリューム、陰影のリズム。個々の作品の存在感と共に、作品群全体から有機的な繋がりが感じられ、ギャラリー内には詩的で心地良い空気が広がっています。新たな表情を持った狩野岳朗の最新作を、ぜひこの機会にご堪能ください。
「klein garten」 / 2020
「In the city」 / 2019
at arflex Tokyo at arflex Nagoya at arflex Osaka at arflex Tamagawa「ハチやアリには超個体と言われる全体意識があるという。
多数の個体から形成され、それらが一つの生物的な総合体であるという感覚だ。 個々の行動は巣が望んでいる活動なのだと。
仮に私を含めたこの都市が一つの有機体の塊だとすると、私の選択もまたこの大きな塊の何かしらの意思が降り注いでいるのかもしれない。」
「Field Sketch Modified」 / 2019
二人の絵描きがドイツにある郊外の村に一週間滞在する。 自然に溢れたその村で彼らは写生を行う。 この展示は彼らの滞在の記憶と言えるのかもしれない。 風景を観察し、線や形、色、目には見えない何かを描く。 ただ自然を写し描くのではなく、世界を構成する視点のひとつがそこに現れる。
阿部寛文 | 狩野岳朗
Two Japanese artists stay in Gerswalde for a week and create artworks that are inspired by the local scenery. This exhibition is the materialized memory of their stay: They observe the nature and landscape and sketch lines, shapes, colors and invisible things. Beyond field sketching, the exhibition displays a certain view of the world.
Hirofumi Abe | Takero Kano
「Mitsuami」 / 2019
“MITSUAMI” means “three strand braid” in Japanese.Three artists weave one story in Gerswalde.三人の作家がひとつの物語を編む。
Drawings by Hirofumi Abe
Paintings by Takero Kano
Ceramic arts by Terumi Ishigami
「不透明な交換」 2018
「untitled」 / 2018
nidi galleryでは、約2年ぶり3度目となる画家・狩野岳朗の個展を開催いたします。これまで表現の一役を担っていたセオリーや言葉から一旦離れ、心の奥底にある曖昧な感覚を、より純粋に形にしたいという表明で題された「untitled」。ある種の束縛から解き放たれ、新たな模索により描かれた作品からは、瑞々しいエネルギーが感じられます。本展では、初のギャラリーでの滞在制作による作品を含む約12点の最新の油彩画を発表いたします。
For the first time in two years, Nidi Gallery is proud to present its third edition of the artist Takero Kano’s solo exhibition. “Untitled” is a brief separation from the theory and words that play a role of Kano's expression up until now; it is a declaration of the desire to put into pure form the vague feelings at the bottom of his heart. These works are painted free from some kind of restraints and with a new sense of exploration, and they give a fresh energy. In this exhibition, we will present 12 of Kano's latest oil paintings, including his first works produced while in residence at a gallery.
「Look into」 / 2018
at EDANE at SEWING TABLE COFFEE SO Lei「ルーペを覗き込んでいると、ふと眼下の木片と自分の境が分からなくなったりする。
なんだか何かが連続しているようだ。」
自分が普段見ている近景と、一部を覗き込んだ世界とを描き続けることで、その”何か”に近づけないだろうか。
> 全体 (near distance - 近景)
> 部分 (microscope eyes - 拡大視)「対岸の主観」 / 2018
「私から見たら 私以外は その他だが、 自然側から見たら どこまでが自然なんだろう」
木の枝を観察し、樹皮や葉を拡大したり、時に遠くから見る。
そういったことを繰り返していると自分と目の前の木の間には隔たりがあるようだが、連続している、といった感覚を持つことがあった。
それをより体感するために対象の中に入ってみたくなり、山の中で絵を描いた。
Photo by Yuichiro Tamura
「分岐する思考」 / 2017
「乳青がかった地図」 / 2017
内部(自)を観察し、外部(他)と共通する意識を浮かびあがらせる。
形は共通認識の言語ではなくなり、無意識下で記号としてのちに外部と共有され、それら個体の熱に加わる。
私は立ち枯れた冬木の屈曲した枝構造を見ていた。ある画家の晩年言ったイノチという言葉がそれと折り重なったように思えた。
やがてそれは枝から掌の溝へ、地形へ、微細な生き物の形、動き、フラクタル構造、宇宙、
私という一個体と大きな生命との共通を考えることになっていった。
形ある物から事象へ、物事を動かしている流れを知りたい。
すると画面のそれは筆を持つ個体の純粋な思考と共鳴する必然性があった。
それは学問のように思えた。「Here is Somewhere」 / 2017
普段見ている文字は無意識に意味が入ってくるが、
そうでない文字は時折ただの形として見えてくる。
絵もまた描いた本人にしかわからない記号のようなものだとすると、
絵を見るということは未知の言語を読むようなことかもしれない。
「B卓の注文」 / 2016
人は喫茶店で、隣の席の会話や素振りを意識してしまう。逆に隣の人に自分が意識されていることも意識しているように思う。
A卓の会話がB卓のテーブルの話の発端になったり、B卓の料理を見て、A卓の人が同じ料理をオーダーする、というように。
自己と他者が微妙な距離感をとりつつ、時にその境界線を越えお互いが影響しあって過ごす場所での相互作用について考察し
その状況下で作品を制作。
すなわち、喫茶店で隣の席を意識し/されながら、できた作品を ''喫茶店'' で展示する。
また、作家は展示期間中しばしばこの ''喫茶店'' を訪れ、隣の席で絵を描く人として、他者の意識に浸透する。Live「浸透深度」 青木隼人(音楽)x 狩野岳朗(ペインティング)x nicolas(料理)
「SIDE DISH COMPOSITION」 / 2016
生活 と 絵画
食べるもの 、見える景色 、いる場所 、そばにある絵
わたし は なに で構成されているのだろう
「なにを食べますか」 「なにが見えますか」 「どこにいますか」 「壁にかけているものはありますか」「ポストにこれが届いていた」 / 2015